2024年11月22日 (金)

JBISコラム

SNSで、細江純子さんがコラムを終了する、少し休みをもらう、といったことが話題になった。同時にJBISコラムの内容についても拡散された。
https://enjoy.jbis.or.jp/column/hosoe/2024/013134

JRAの現状や、同じようにつらい思いをしているメディアの方々のことを思う。
あの細江さんでさえも…
コロナ禍で変わってしまったこと。「疲れてしまった」こと。
個人的に、自分と重なる部分があり、胸が苦しくなってしまった。
どこもつらくて、どうしていけばいいのか。答えが出ないままずるずると時が流れている。

さて、このJBISコラム、存在は知っていたけどすっかり読むことを忘れていた。面白い話題がたくさんあるので、もっと知ってほしいコーナーだ。
村本さんのコラム読まなきゃ。とさかのぼっていると、田中哲実さんの話題があった。
https://enjoy.jbis.or.jp/column/muramoto/2024/013111

告別式では私ら夫婦はずっと村本さんと話していて、「控室に行ったつもりが遺族関係者の席で」ということは聞いていた。
もちろん当日のざっくばらんな話ではここまでは知らず、読んでいるとこの時のことが思い出される。
このとき、哲実さんの経歴紹介で、司会者がライターのことを「コピーライター」と言っていた。式が終わってから「一般的なライターの認識ってそんなもんなんだよね」と村本さんと語る。
競馬メディア界では哲実さんの存在の大きさを感じることばかりなのだけど、
競馬を離れるとどんなにすごかったかが理解されにくくて、もどかしくなる。

そして、村本さんの一つ前のコラムが「キャッチコピー」。
まさかの、コピーライターがここにいた(笑)

2024年10月14日 (月)

銀色のステイヤーとしをかくうま

恥ずかしいのであまり読んだ本の感想は書かないのだけど今回は特別。

河﨑秋子さんが競馬をテーマにした小説を執筆中と聞いたときは、正直不安だった。
競馬社会って専門的すぎるし、ちょっとした違和感にファンはうるさいし、すごく難しい部類だと思っている。
好きな河﨑さんが競馬ファンから嫌われちゃったらどうしよう……なんて失礼な想像をして、読むのが怖かった。

結論、「銀色のステイヤー」すごく面白かった!!競馬やサラブレッドの本質を描いた表現にうなりっぱなし。競馬が文字になっている!
さらりと物語は進みつつ、できごとの一つ一つにわくわくする。ノンフィクションを読んでいるようで無意識に「ふ~ん」と声が出た…

島田明宏さんが特にそうなんだけど、河﨑さんも行間から自然と競馬愛がにじみ出る。
競馬にはたくさんの人がかかわっている。結局は人だなぁ…と思う。生き物に関わる人間への洞察力のすごさは随一なわけで、さすが、死と向き合っている人だ、と思う。

また、細かな取材からしか表現できない丁寧な描写があって、競馬ファンは安心感を得る。たとえば厩務員が発走につけばバスに乗るまでレースは見られないとか、小さなモニターで見るとか。過去に厩務員の描写でそこまで書いたものがあったかな、と考える。
私は結構競馬社会のことは知っているほうだと思うけど、知らないこともあった。

歴史が出てくるところはさすがだし、たまに独特の、これまで誰も使わなかった表現にはっとさせられる。
私がどう表現しようかとずっと言葉にしあぐねていることをわかりやすく表現していて、勉強になる。
164ページ~は、私の友人(になりうるタイプの人)はスカッとするでしょう。鉄子のキャラもいいね~

いい競馬小説は続編を読みたくなる。人馬が今後どのようなレースをするのか想像して読後感に浸る。
でもそれは普段の競馬こそがストーリーの寄せ集めで、ずっと見続けられることを幸せに思う。
目の前にあるたくさんの競馬小説に触れられる贅沢がある。

中長距離好きとしては、ステイヤーに注目したのはうれしい。
仔馬の頃から白っぽい芦毛、ニットウライジンみたい。

その前に読んでいたのが「しをかくうま」(九段理江)。
馬はそんなに出てこない話だと思いながら読んだら、出てくる出てくる、というか競馬ファンはもう一つの楽しみ方ができる
独特の文体から感じる疾走感が楽しい。
2冊とも競馬ファンに読んでほしい。

(実は銀色のステイヤーで10字やん、って馬がいて汗
しをかくうまの世界かと笑 文庫で直るだろうか…)

2024年5月19日 (日)

さよなら哲実さん

ライター・カメラマンである田中哲実さんの葬儀で、浦河に行ってきた。
まさか、こんなに早くお別れすることになるとは。葬儀を終えた今でも信じられない。

門別競馬場の記者室にはいつもケーキを持ってきてくれた。よく冗談(下ネタ含)を言っては記者室を笑いの渦に巻き込んだ。先週の重賞コスモバルク記念でも、スタンド横から撮っているとコース側から「がっははは」と哲実さんの愉快な笑い声が聞こえてきた。
勝利インタビューを終えて記者室に戻ろうとすると、ちょうど哲実さんが帰るところで、後ろ姿に声をかけたけど気づかれず。
それが最後になってしまった。

斎場には競馬関係者からのたくさんの花に囲まれ、とてもいい笑顔の哲実さんがいた。コラムの写真は「意見を申す」的な内容だし険しい表情。それだけに、こういう顔の写真があるんだ、と安心した。

(笑顔の理由はとてもいい(笑える)話なので私に会える人は聞いてください)

哲実さんはトウケイニセイの写真とともに旅立ちました。
略歴で、トウケイニセイとシンザンフェスティバルの話は入れてほしかった…

私は個人的にお世話になった方だった。バーベキューをし損ねたなぁ…。
自宅には文学全集などの本がずらっと並び、圧倒された。こうじゃないと書けないよな……と。
生産者でライター、カメラマン。今後そのような人が現れてくれるだろうか。今のメディア陣は札幌近郊が多いので、浦河までとなるとどうしても遠いし、浦河在住の強さもあっただろう。今後どうなっていくのか。
専業のライター、カメラマンでさえも若手がほぼいない。私もこの年になると、後輩を育てる年齢だと思うが簡単ではない。哲実さんは面倒見がよかったよなぁ。考えていかなきゃな、と思う。

追記。今年の相馬野馬追に行く予定をしていたらしい。実は初めてで、念願の野馬追だったそう。

昨年12月でnetkeibaのコラムを終了していたので、体調が悪かったのかと思っている方もいるようだが本人は変わらず元気で、↑にあるようにコスモバルク記念にも来て精力的に活動されていた。急に倒れられたとのことで皆驚いています。大動脈解離でした…。


2022年12月23日 (金)

「かわいい」と言わない

「かわいい」は判断を鈍らせると思っている。
馬の本質が見えなくなる。

かわいい、と言ってしまったらそこから馬に対する学びが止まる気がするのだ。

競馬を始めたころ「かわいいかわいいばかりのおじょーちゃん」
と思われることが嫌で、反発していたのもあるだろう。

こどものころから「かわいいね」(態度が)と言われることに嫌悪感があったからなのかもしれない。
子どもだからと低く見られていると疑心暗鬼になっていた(変に大人びていた)。

素直にかわいい、と言っていたのはいつまでだったか。
もしかすると、気持ちを抑えこんでいたかもしれない。
馬のことをかわいいと言っている素晴らしいホースマンはたくさんいる。

でもこれまでを振り返ると、私の場合は、
かわいいを封印することで馬と向き合えていたような気がしている。

2021年3月 7日 (日)

ボヘミアンカバリエのこと

2月24日午後9時半、私の愛馬ボヘミアンカバリエが死亡しました。26歳でした。

カバリエを引き取って浦河の牧場に預けていたことは数人にしか知らせていませんでした。
カバリエとの静かな時間をほしかった。いろいろな人を通じてややこしいことになるのを極力避けたかったからです。ごめんなさい。それでもなんとなく気付いている人はいたかと思います。
多くの方のお世話になりました。人に恵まれ、カバリエは幸せだったと思います。私の元にきてくれて、私もカバリエとの縁でウマや競馬についていろいろなことを学ばせてもらいました。

カバリエは2歳の新馬戦の時に札幌競馬場で一目惚れしました。その時に作ったホームページがあります。
http://bohemiancavalier.g2.xrea.com/

途中ジオシティーズから移行したのでリンク切れもありますがごめんなさい(汗)
この中にある、若葉の小さなアイコンをクリックすると裏ブログがありますw 何人かに話したかな?でも気付いた人なんているかな…昔はやった裏ページ💦
https://urakawa.exblog.jp/

カバリエのブログで今後、少しずつカバリエとのことを書いていこうと思います。

2021年2月16日 (火)

石坂調教師

今年の勇退調教師の名を見て驚いた。そうそうたるメンバーだな!
自分が良く見ていたころの調教師が月々と勇退していき、私は一昔前の競馬ファンなんだなぁとしみじみしてしまう。

石坂正調教師も3月までなのか。
1998年、開業祝に移籍した馬がキョウエイユカだった。どこの厩舎から来たんだったかな…って調べたら、橋口厩舎?そうだったっけ、記憶が…
どちらにしろ、調教ではその厩舎のメンコを付けて走っていた。(でも橋口厩舎のメンコじゃなかった気が…)
別に同じ名前だからって応援していたわけじゃない。おお、ユカか。と気にしながらも、頑張り屋できつい性格のユカは私とは似ても似つかない。ニンジンが嫌いとかいうエピソードもあったなぁ。
それなのに、デビューして1ヶ月半、報知杯4歳牝馬特別で故障して予後不良になった時は悲しくて悲しくてたまらなかった。なんでユカが…と思い、引きずった。
どうすればいいのかわからなくて、とりあえず厩舎に花と、そんな思いをしたためた手紙を送った。自己満足みたいなものだ。
しばらくして、石坂先生から自宅に電話があった。私は仕事中で母が出て、全く何のことだかわからない母は「あら~それは残念ですね」みたいな返答をしたらしい(もう一度手紙を書いてお礼と無礼をわびた)。
携帯を持ち始めたころだと思うけど、番号が表に出るのは嫌で花の送り先には実家の番号を書いていたんだよなぁ。そんな時代です。
石坂厩舎はそれから、あれよあれよと名門厩舎になった。ユカのことはどう思っているのかな。ここまで活躍馬を育てて来た先生なら逆に忘れることはないと勝手に思っている。

ということで3月14日の命日に、阪神競馬場に贈り続けた花はキョウエイユカを偲んでのものだった。

ある日インターナショナル牧場へ、ユカの母ケイシュウレディにも会いに行った。「ケイシュウレディに会いに来ました」というと女性従業員の方が「ユカちゃんのファンだったんですか!」と喜んでくれた。
初めて会う母の姿に涙が止まらなかった。あの気持ちも不思議なものだ。

2021年2月11日 (木)

ローレル一周忌

前回の投稿()の通り、自分の誕生日が好きな馬の命日になってしまい、今年の1月に一周忌を迎えた。

新和牧場にあったサクラローレルの墓は、秋に桜舞馬公園に移転した。ちなみにオーマイホースパークって読むんだよ!
コロナ禍で移せるかどうかわからないとの話もあったが、母ローラローラやホクトオー、チトセオーなどからは離れ、多くの人が行けるところへ移った。
牧場でお墓参りをして、元気な功労馬たちに会う、という長年の流れがローレルではできないことが少しさみしくもあるけれど、牧場を見学できる時に公園にも行ければそれでいいのだ。

さて、花を贈ろうと思って悩んだ。今、墓は牧場にないのだ。牧場に問い合わせると当日は線香をあげるとのことで、それならばと牧場宛に送らせていただくことにした。少し前に大雪が降ったので公園の墓が埋まっているかも。と見て来てくださり、墓の周りを雪かきをしたあとの写真まで送っていただいた。

「命日に花を贈る」ということについて、思い出していた。
競馬場で命を落とした馬の命日に、「馬頭観音にお供えください」としばらく競馬場宛に花を贈っていたことがある。
JRAの職員の方は、毎回ではないけれど「きちんと供えておきましたので」と、わざわざ電話をくださった。さすがだなぁ。
広い広いJRAの競馬場の、事務所から馬頭までの道のりを思うと恐縮した。って、実はまだ行ったことのない阪神で、近いのか遠いのかも知らないけど。まぁ距離じゃないよね。
そして想像しようにも、どこにどのような馬頭さんがあるのかわからないままだった。

花を贈る馬が増えたこともあり、このような時は何年かで区切りをつけよう、と決めた。この時って7年だったか10年だったか…。改修で命日に贈れなかったことが区切りになったんだったか。忘れてしまいごめん…

自分が命日に行けないと、迷惑をかけてしまう気がして、悩ましい。
それでもこの日じゃないと、自分の心の中の何かが落ち着かない。
ファンにとっての馬の命日ってそういうものだと思う。いまだに対処の仕方がわからない。

2020年1月24日 (金)

今年の誕生日 サクラローレルについて

これまで誕生日はおとなしく過ごしていたのだけど。
まさか、自分に競馬を教えてくれた、愛すべき名馬の命日になってしまうとは。

29歳、老衰。
もう十分生きた、幸せな馬だったと思う。ただ感謝しかない。
安楽死を逃れてきた馬がここまで長生きして、幸せな余生を送れたとは。

何度か書いているけれど、自分の好きな馬はみんな長生きしている。
同世代、下の馬たちの訃報を次々と耳にするたびに(それはそれで悲しいのだけど)、
自分にとって強い思いのある馬が長生きしている、その意味を考える。


最初に見た有馬記念で選んだ馬が、小島太騎乗(次年で引退)のサクラチトセオー。
牧場に行って初めて好きになった馬がサクラホクトオー。
この時代はもともと「サクラ」の活躍馬が多かったけれど、自分にとって縁のある馬が多かった。

少しずつ競馬を覚えていったころ、美しい栃栗毛、長距離血統、持ち込みって? RainbowQuestって?! 皮膚が薄い? だからこの色?!
と、いろんな理由から惹かれていった馬だった。競馬を覚えたてだったから今ほど効率良くは動けなかったけれど、ローレル中心に動いて、いろんなことを学んだ。競馬を自分なりに楽しむときの、行動の仕方を覚えたな。

2月15日発行のばんえいのフリーマガジン「ポムレ」のコラムでは今回、ファンの思いを書いた。
この中にはローレルで感じた気持ちも多くある。

リスグラシューの引退式で応援幕がはれなかったという話を聞いて、ローレルが函館にお披露目に来たときのこと(友人が幕をはっていた)を思い出していた。
そのほかにもローレルにまつわることがちょっとあって、一瞬嫌な予感がしていた。

母ローラローラへの命日に、墓前に花束を置くため毎年4月に牧場を訪れていたけれど、ここ数年は直接行かずに贈っていた。
そのうち新和牧場の見学はFacebookから受け付けるようになっていた(先進的ですごい! と感動していた)。ローレルがいる間に、その申し込みはできなかった。
帯広からは門別と浦河は行きやすいけれど、その中間の静内となると、他の計画と合わせて…なんて考えているうちに行きそびれてしまった。
こればかりは仕方がない。長く競馬に関わって、馬のことは後悔しない、という教訓も得た。
いつかこの日が来ると割り切っているので、結構しっかりしています。思い出はもうあるからね。

しかし、センバツに十勝から2校だとか、応援馬を調教していた木村さんの息子の和士騎手がエクリプス賞だとか、ほかにもいろいろと、まぁ個人的にもニュースの多い日でした。

2019年9月19日 (木)

馬に会いに行くこと

私は牧場で馬にはまった人間だ。
20代から30代にかけては、牧場で馬に会うことをライフワークにしていた。
(一応、知らない人のために。)

今思うと、「牧場見学」という単語にずっと違和感があった。
まるでイベントのようで。
施設見学などとは違う。

私の感覚に近いのは、「馬の、人の家(うち)に行く」。
それは個人牧場だけじゃなく、スタリオンだってそうだ。

そのために、年上の人と会う時は礼儀を心がけようと努力した。
馬についてもできるだけ学ぼうと勉強してきたつもりだ。
失敗もして、いろいろなことを悩んで、考えて、
時間はかかったけれど自分なりに答えを見つけてきたつもりだ。

馬に会うことは、人に会うこと。

競馬関係者とファンとの距離感をどうすべきか悩んだけれど、
それも人と人との関係だからケースバイケース。
つきあいの中で考えることにしている。

その結果、馬を愛する人たちとの縁ができた。
馬のそばで「この人は大丈夫だよ」と言われるようになった。

 

「見学のマナー」ってなんだろう?

 

わたしがたどりついた、大事にしていることは。
その仕事や、従事する人へのリスペクト。
それは馬に携わる人もそうじゃない人も同じ。
そのようにして、社会人として大切なことを身に付けてきたと思う。

競馬を見ていない今は、馬のことを知らなさすぎて、申し訳なくてほとんど牧場には行っていない。
昔から好きな馬たちに、たまに会う程度だ。
幸い私の好きな馬は、長生きしてくれている。

2019年2月25日 (月)

わたしの中にいる彼女のはなし

先日、やっとジオシティーズ移行したww
昔のホームページやブログを整理したついでに、書いたまま数年、アップしないでいた内容をあげてみます。

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ある町の乗馬施設を訪れた。
数年前、彼女が繁殖を引退して、移動した牧場だ。
私の住む街からはかなり遠い。すぐに行ける場所ではない。
初めてその町に行ったとき、怖くて寄れなかった。そのことを後悔したので、今回は行くことにした。

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大好きな馬のお母さんは、美人でやさしくて、温かかった。さすが彼のお母さんだと思った。
いつも逢いにいくと、背筋をすっと伸ばしたような雰囲気で迎えてくれて、美しいまなざしをこちらに向けるのだった。いっぱい話をして、辛いときは横でいっぱい泣いた。彼女はただ、横でのほほんとひたすら草を食むのだった。

繁殖を引退して移動することになったと聞いて、たくさん泣いた。でも、彼女はサラブレッドだから泣くのはこの日1回でやめることにした。
生まれ故郷の牧場は、繁殖を引退しても処分はせずにどこかの施設に移動させる。今回は、3頭一緒に、繁殖を引退したおとなしい馬をトレッキング用に使っているという、乗馬施設に行くことになった。彼女がかまってくれない時に遊んでいた、ほかの優しい2頭が一緒。この子たちとなら寂しくないだろう。
行き先があるんだし、ここでずっと幸せに過ごすんだ。
今までみたいに簡単に会いに行けない。
でももう、私のなかに彼女はいて、温かさやにおい、肌触り、みんな覚えている。だから大丈夫。

「馬運車から降りてきたその人は、猫を抱いて降りてきてね。」
牧場の人が言っていた。新しいところの人は、命を大事にする人なのだ。彼女はずっと、大切にされるんだ。
牧場の人からもらったたてがみとしっぽで、アクセサリーをつくって身につけていた。そのうちほつれてきたので、今は袋に入れて持ち歩いている。

私の中に彼女はいる。むやみに会いにいって、今いる施設の人に気を遣わせたくはない。
と思いつつ、いなかったら、という不安もある。
そのうち時間はどんどん過ぎていった。
馬は突然どうなるかわからないし、そのことで繋養先を責めるのもどうかと思う。だから、サラブレッドが引退した後は、できるだけ早く会いにいって、そう、ずっとここで暮らすんだ、その記憶をつくることで納得させる。そんなことをよくしていた。

それと同じく、移動してすぐに会いに行けば良かったんだ。その町に行った時にだって寄らなかった。いなければそれで納得がいく。もしいたのに会わなかったら?彼女が待っていたかもしれないのに。見知らぬ放牧地で草を食む彼女の姿を想像した。ねぇ、どうしているの?

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深い霧の中、その施設を訪れた。犬がいっぱいいて、きゃんきゃんとお出迎えを受けた。人はいない。奥の広い放牧地に、数頭、馬がいるようだ。
名前を呼んだ。呼べば私の声はわかるはずだ。私の存在にだって気付くだろう。
人の存在も気にせずに草を食み続ける馬たちの背中は、若い馬のように見える。鹿毛が2頭と、黒っぽい馬が2頭。
彼女は鹿毛で顔に印はない。一緒に行った子は青鹿毛だけど、ここにいる子とはちょっと雰囲気が違う。鹿毛の子だって、彼女とは違うみたい。

1頭、こちらからはよく見えなかった鹿毛が顔を上げた。白い流星が顔に見えた。

もう、彼女はここにはいないんだ。

寂しいとか、悲しいとかじゃない。
もともと心の中にいる彼女が、空の上にいる可能性が高くなったということだ。
温かな思いをずっと胸に抱くことで、強くなれたと思う。彼女のまなざしのように。

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彼女のことをネット上に書いたのは初めてだ。
思い出は全て、私だけの宝物だから。

2019年2月12日 (火)

藤井勘一郎騎手

今日、藤井勘一郎騎手がJRAの騎手免許試験に合格した。……うれしい。
ホッカイドウ競馬で期間限定騎乗した時に、お話を聞くことができました。2015年かぁ。
https://blog.oddspark.com/jockey/cat195/cat1382/

とても話を聞いてみたかった人。通常なら取材するチャンスはそうないけれど、最初が道営だったおかげで取材ができ、光栄だった。
前向きな姿勢は思った通りで話していて気持ちよかったし、カメラを向けた時に放たれるオーラから、この人はJRAで乗るべき人だと思った。
もし、私のインタビュー記事をJRAの人が見ることがちょっとでもあるとすれば、と「こんな騎手ならほしい」と思わせるような内容になるよう、書いたつもりだった。
騎手を含むスポーツ選手には、いろいろなタイプがいる。その中でも、多くの人に感動を与えたり若者の指針になる存在になりうると思っている。

藤井騎手の幅広い活躍を楽しみにしています。

2018年10月18日 (木)

カレンダー発売

夫が撮影した写真が使われている2019年カレンダーが2種類、発売になりました。

まずは ばんえい競馬2019カレンダー 「命、煌めいて」(B4判、中綴じ28P、1,620円)
今年に引き続きばんえい競馬、ばん馬のカレンダーです。
https://www.hakubaouji.com/shopbanei/

帯広競馬場の中央売店のほか、Aiba札幌駅前、門別競馬場小径カフェ、サテライト石狩、JRAターフィーショップ、大井競馬場、川崎競馬場、笠松競馬場で販売しています。

インターネットでも販売中。これを機に、馬グッズショップと一緒のご購入もご検討ください。
ホースシュー様 https://item.rakuten.co.jp/horseshoe/cal2019ban/
ボロ ライディング ショップ様 https://www.boro.co.jp/
ホースファクトリー様 https://www.horse-factory.jp/ ポムレもつきますよー
ターフィー通販クラブ様(まもなく) https://shop.prc.jp/
Amazon様 http://ow.ly/4tZX30mhkxk
ハクバオウジ株式会社様(販売元) https://www.hakubaouji.com/shopbanei/


そして、カメラマン数人による「2019年ホースマンカレンダー」(カラー12枚つづり、596mm×420mm、吊り下げ・リングとじ、2000円)
http://shop.horsenavi.com/products/detail.php?product_id=239
私が昔から大好きなカレンダーです。
今年は、夫の写真を表紙を含めて4枚、使っていただきました。そのうち2枚は私が通い詰めてきた思い入れのある牧場。感無量です。
他の方の作品もとても美しいので、こちらもぜひよろしくお願いいたします。
こちらはネット販売以外はどこで売っているかがわからないのですが、見かけたらよろしくお願いいたします!!
表紙の馬はクリリンという、モデルのようなポーズをいっぱいとってくれる仔!!!!

「ばんえい牧場十勝」のカレンダーも作成中です。発行、発売が決まったらお知らせします。
(追記)
牧場で販売しています! 郵送も可。
http://baneibokujo.jp/tp_detail.php?id=73

2018年9月26日 (水)

門別デイ開催

今週、胆振東部地震の影響で休止していた門別競馬が復活。水が出て、本当によかった。
帯広は、停電しても水が出たからほとんど馬に影響がなかったそうだ。それを聞いて余計、断水が人馬にどれだけ大きな影響を与えたかがわかる。

9月は門別もデイ開催だ。
昼間のメイン。仕事をしているうちに終わってしまう道営。それでも昔の私はきちんとレース結果を把握できていたなぁ。なぜだ…

いまだに忘れられないのは、2002年の道営記念。優勝馬はヒットパーク。この時は3時発走だった。
まだ、向正面奥の木々は低く、スタンドから海が見えた。きらきら光っていた。
その海に1頭、吸い込まれて消えた。記憶は定かではないが、実況でもクラダイギンガの名は呼ばれなかったと思う。
流れていく馬の隊列と、白く光る海の記憶。彼は今でも、あの美しい海に消えたと思っている。

2018年6月20日 (水)

競馬最強の法則

「競馬最強の法則」が休刊するという。残念だ。

人や馬の記事は丁寧で胸を打つものが多かった。写真も雑誌に合わせた独特の雰囲気が好きだった。
ギャンブラーへのリスペクトも感じられて、きちんとした博打の世界があった。
「地獄の早耳」のようなゴシップ記事も、最近はこの雑誌くらいでしか見ない。ネットの噂話なんかより、紙媒体に載せることの覚悟と裏取りがどれだけ重いか。ほんと、うそ、ということよりもそこには責任がある。

競馬がギャンブルであることを根底に、そこにある人間模様を描く。
私が目標としているものがあった。

河村清明さんもブログで書いている。
「競馬メディアのこの先が、ますます心配になってきた。」

私も全く同じ思いだ。

2018年5月28日 (月)

バルダッサーレの勝利

24日、バルダッサーレが東京ダービー以来の勝利を挙げたという。
南関東まで目が届かず、最近の戦績を知らなかったがそんなに勝ちから遠ざかっていたのか。それはうれしい。

サンシャイン牧場のダービー制覇。感慨深いものがあったが、JRAの移籍初戦だっただけに物議を醸し、切なく思っていた。
ずっと応援している馬主さんの馬が、いろいろ言われてしまうのはしのびない。もの申せる媒体がある人の馬なら、理解もされたのだろうか。勝ちを求める姿勢のどこが悪いのか。
でも、競馬を始めたばかりなら私も疑問に思っていたのかもしれない。
長いことオーナーの所有馬を見てきて、勝つためにレースを選ぶ貪欲さを感じ取っていたから、移籍もすっと受け止められたのだろう。

一頭一頭の馬には周りの人間が必死に考えた勝利への方法論があって、それは人それぞれだ。一瞬驚くこともあるけれど、一旦立ち止まってその思いを丁寧に感じ取りたい。それが競馬を楽しむ方法だと思う。

«写真の整理

ばん馬のいる風景

プロフィール

  • ゆかです。北海道在住。いろんな馬に会うことが好き。 ばんえいは「ばん馬のいる風景」、ホッカイドウ競馬は「つぶ串ひとつ」というブログで書いてます。それ以外の馬ネタの行き先がここ。 TwitterとInstagramは@primoordine。地元紙記者、競馬ライター・カメラマン。小久保(斎藤)友香の名前で出ています

つぶ串ひとつ

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