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2006年2月 9日 (木)

ホットシークレット

ホットシークレットが亡くなっていた。
亡くなったのは12月19日とのこと。私は18日にノーザンホースパークにいたから、あのときホットシーは近くで苦しんでいたのかと思うと…

その後、トウカイポイントと一緒にBTCの助成金対象馬から外れた記事を見てから一度ノーザンホースパークへ行った。
手前の厩舎の入り口側には元重賞勝ち馬などがたくさんいる。ホットシークレットが今日もいなかったから、空の馬房と外された看板を見て、ここがホットシーの馬房だったっけな、ホットシーはアドマイヤカイザーのようにどこかの乗馬クラブに行ったものだと勝手に納得していた。
トウカイポイントの試合は見ていたけど、ホットシークレットが売ることが出来るくらい乗馬として頑張っていたのかと少し驚いた。ホットシーはなんとなく、ずっとここにいるような感じがしていたから。

なんで私は聞かなかったのだろう。どこに行ったのですか、と。
ホットシーならいつか行き先がわかるだろうと思っていた…というより、乗馬の移動を追うことをためらうくせがついてしまっていた。
でも今になって、この時私は何かを感じ取ってしまっていたのかとも思う。
家に帰ってふるさと案内所のページを調べても出ていない。重賞勝ち馬がなぜ出ない?移動中?
まさか亡くなっていたなんて。今でも信じられない。どこかにいるんじゃないの?
私はふるさと案内所の検索フォームにホットシーの名前を入れ続けるかもしれない。

ホットシークレット。アサヒウィンロードと2頭、クラシックロードに乗れずせん馬で頑張っているのが気になっていた。しかもホットなシークレットって名前が…(^_^;)
そのうちオープンまで行って、オペラオーまで負かしちゃうんだものな。
引退してから会うホットシーは、思っていた通りのかわいいカメラ目線をこちらに向けてくれた。
その写真を載せようと思ったけど、見ていたら辛くなったのでやめることにした。

あの空の馬房がホットシークレットの馬房だったのかはわからない。もしそうなら、1ヶ月近くも空になっていたということだし。
でも考えられないことではない。そんな風にいろいろと考えてしまい悲しくなる。

早過ぎる死。でもホットシークレットは幸せだっただろう。心より冥福を祈りたい。


それにしても最近、すぐに馬の訃報が流れることが少ない。
馬のそばにいる方々にも強い悲しみがあるのだろうし、馬の死に対するファンと関係者の考え方の違いがあるのだろうけど。
関係者の方には悪いけどそのことが隠しているように感じられて、深読みすることだってある。
悼み、冥福を祈りたいファンがたくさんいるのにお墓があってもそのことを知らされなかったり、ファンは祈れなかったり。
宗教的なことが絡むから難しいことだけど、亡くなった後の競走馬のこと…なにかいい方法があれば良いのだけど。
案内所の前にすっごくおっきな馬頭観音建てる…ってのもなぁ?案内所で紹介する馬のたてがみはここにも、とか。って静内にはすでに二十間道路のところにあるしなぁ。門別と浦河と千歳とか町ごとに作るか?ううむ?
考えてたらすごく崇高な考えになってきて、ひどく疲れてきた(^_^;)

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プロフィール

  • ゆかです。北海道在住。いろんな馬に会うことが好き。 ばんえいは「ばん馬のいる風景」、ホッカイドウ競馬は「つぶ串ひとつ」というブログで書いてます。それ以外の馬ネタの行き先がここ。 TwitterとInstagramは@primoordine。地元紙記者、競馬ライター・カメラマン。小久保(斎藤)友香の名前で出ています

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