今年も凱旋門賞の季節
下書きに入れたままずっとアップしそこねてました。
ということでいまさら凱旋門賞の話。
凱旋門賞のたびに、ローレルのことを思い出してぐちぐち言っててなんなんですが。
当時憧れていたロンシャンやシャンティに対する多数の競馬ファンの見方が、変化していることに時代の流れを感じる。これから行くとなったら日本人ぼったくられるんだろうなぁ早く行っとけばよかったかなぁとか、考えたりする。
レースの前、凱旋門賞を目指した馬、という特集をいくつか見かけた。どこにもローレルがいないことがもどかしい。前哨戦で怪我をしてレースには出られなかったけれど、目指した馬であることには変わりないのに。と言い始めたら、目指しながらもフランスまで行けなかった馬だっているだろうし、きりはないのだけど。でも、ローレルほど、フランスの雰囲気に合う馬はいないと思う。
キズナが出走して、私がローレルの仔に夢見た「親の忘れ物を取りに」ができていることがうらやましい。凱旋門賞に対する私の思いはローレルとともにある。それだけであって、世界一のレースと言い切るのは疑問に感じるし、ほかに見たい世界のレースがある。
一瞬キズナがオルフェを閉じ込めたときに、武豊が世界を舞台に活躍していたことを思い出した。日本馬仲良しレースなんじゃなくて、自分が勝つためのレースなんだという当たり前のことに気付いた。気付かされるほど、「がんばれ日本」の雰囲気に飲み込まれていた自分を恥ずかしく感じた。
私の好きなアメリカ競馬に、日本馬の参戦が少なくなったのはさみしいと思うこともあるけれど、別に日本馬が行く必要はないのだ。アメリカのすてきな競走馬たちを応援すればいいんだよな。