今年の誕生日 サクラローレルについて
これまで誕生日はおとなしく過ごしていたのだけど。
まさか、自分に競馬を教えてくれた、愛すべき名馬の命日になってしまうとは。
29歳、老衰。
もう十分生きた、幸せな馬だったと思う。ただ感謝しかない。
安楽死を逃れてきた馬がここまで長生きして、幸せな余生を送れたとは。
何度か書いているけれど、自分の好きな馬はみんな長生きしている。
同世代、下の馬たちの訃報を次々と耳にするたびに(それはそれで悲しいのだけど)、
自分にとって強い思いのある馬が長生きしている、その意味を考える。
最初に見た有馬記念で選んだ馬が、小島太騎乗(次年で引退)のサクラチトセオー。
牧場に行って初めて好きになった馬がサクラホクトオー。
この時代はもともと「サクラ」の活躍馬が多かったけれど、自分にとって縁のある馬が多かった。
少しずつ競馬を覚えていったころ、美しい栃栗毛、長距離血統、持ち込みって? RainbowQuestって?! 皮膚が薄い? だからこの色?!
と、いろんな理由から惹かれていった馬だった。競馬を覚えたてだったから今ほど効率良くは動けなかったけれど、ローレル中心に動いて、いろんなことを学んだ。競馬を自分なりに楽しむときの、行動の仕方を覚えたな。
2月15日発行のばんえいのフリーマガジン「ポムレ」のコラムでは今回、ファンの思いを書いた。
この中にはローレルで感じた気持ちも多くある。
リスグラシューの引退式で応援幕がはれなかったという話を聞いて、ローレルが函館にお披露目に来たときのこと(友人が幕をはっていた)を思い出していた。
そのほかにもローレルにまつわることがちょっとあって、一瞬嫌な予感がしていた。
母ローラローラへの命日に、墓前に花束を置くため毎年4月に牧場を訪れていたけれど、ここ数年は直接行かずに贈っていた。
そのうち新和牧場の見学はFacebookから受け付けるようになっていた(先進的ですごい! と感動していた)。ローレルがいる間に、その申し込みはできなかった。
帯広からは門別と浦河は行きやすいけれど、その中間の静内となると、他の計画と合わせて…なんて考えているうちに行きそびれてしまった。
こればかりは仕方がない。長く競馬に関わって、馬のことは後悔しない、という教訓も得た。
いつかこの日が来ると割り切っているので、結構しっかりしています。思い出はもうあるからね。
しかし、センバツに十勝から2校だとか、応援馬を調教していた木村さんの息子の和士騎手がエクリプス賞だとか、ほかにもいろいろと、まぁ個人的にもニュースの多い日でした。