2018年6月20日 (水)

競馬最強の法則

「競馬最強の法則」が休刊するという。残念だ。

人や馬の記事は丁寧で胸を打つものが多かった。写真も雑誌に合わせた独特の雰囲気が好きだった。
ギャンブラーへのリスペクトも感じられて、きちんとした博打の世界があった。
「地獄の早耳」のようなゴシップ記事も、最近はこの雑誌くらいでしか見ない。ネットの噂話なんかより、紙媒体に載せることの覚悟と裏取りがどれだけ重いか。ほんと、うそ、ということよりもそこには責任がある。

競馬がギャンブルであることを根底に、そこにある人間模様を描く。
私が目標としているものがあった。

河村清明さんもブログで書いている。
「競馬メディアのこの先が、ますます心配になってきた。」

私も全く同じ思いだ。

2018年3月 7日 (水)

小島太のこと

私が競馬を始めた頃、騎手を引退することになった小島太。
その小島太が、調教師を引退するとは。時の流れの速さを認められない。私、そんなに長く競馬やってるか?

当時は「名騎手は名調教師にあらず」が当たり前の時代。ローレルにも騎乗した名騎手が、調教師として活躍馬を多く送り出すことが嬉しかった。「ローレルの子で凱旋門賞に」という夢は叶わなくても、「小島太厩舎の馬で凱旋門賞に」ということは達成してしまった。私の中の時代が2つ終わってしまった。

最後の週、1500勝を達成したのはメンデンホール、横山典弘。
ガッツポーズが話題になったが、それより胸を打たれたのがフライングディスマウント。デットーリがやるアレだ。若かりしノリちゃんは、ローレルの馬上から同じように飛び降りた。その思い出がフラッシュバックした。懐かしい光景、きゅんとするなぁ。

小島太氏は、解説者という話もあるそうだ。なんかどこかでやってなかったっけ。ってそれ、大相撲か。

2018年2月28日 (水)

ネーハイシーザーのこと

ネーハイシーザーが28歳で、その生涯を終えた。
種牡馬引退後は、生産牧場で余生を過ごしていた。帯広から、いつも行く浦河の牧場に行く道すがら、ネーハイシーザーを見かけた。ある時はポニーと一緒で、晩年は1頭で、悠々自適に過ごしている幸せそうな姿が印象的だった。
そう、ネーハイシーザーは幸せなんだ、と伝わってきたから、彼を見るのがいつも楽しみだった。
その後は牧場を移動。結局新天地では会えなかったけれど、あの頃の幸せな記憶のまま。幸せな生涯だったと思う。安らかに。
http://www.jra.go.jp/news/201802/022701.html

2017年12月27日 (水)

清水師のことば

サンスポ(北海道では道スポ)の20歳のころを語るコラム、有馬記念の前は清水久詞調教師だった。
http://www.sanspo.com/sports/news/20171221/spo17122111000001-n1.html
3回目の連載の中で語られている、清水師が荻野極騎手に言う言葉がいい。
「結果を求めると競馬が雑になる。感謝の気持ちを先に持て。そうすれば冷静に乗れる。結果は次。そして何回も競馬を見ろ。一流騎手と何が違うか自分で探せ」
競馬を自分の仕事と置き換えて考えたいと思う。

2017年12月21日 (木)

ヨコギのこと

横山義行騎手が引退することになった。
好きな馬に乗っていたこともあるし、障害と平地に両方乗る。
私は第3次ベビーブーム生まれだけど、なぜか同世代の騎手が少ない。
そんな中、同学年でもある。いろんな点で応援している騎手だった。

特にビクトリーアップとのコンビが思い出深い。
競馬を始めて数年、一番楽しく、吸収力もある時に、
ビクトリーアップと横山義行騎手のエピソードを聞いた。
こんちくしょう、というたぐいの内容だったはずだけれど、実はしっかりと思い出せない。
(個人的に忙しい時期があって、競馬の記憶が曖昧になっている)

競馬のエピソードを吸収しすぎたせいなのか、
今の私にしたら「あまりにちっぽけなこと」なんだと思う。
当時は敏感になって、その人馬に引き込まれた。
(ちっぽけといっても、もちろん当人にとってはそんなことはなくて、情報過多になりすぎた私が鈍感になっているだけって話)
なんだったっけ、と思い返しながら、そんなセンシティブな競馬ファンだったころの自分をちょっと懐かしんでいた。

ビクトリーアップが引退後、彼がいた乗馬クラブの方が、検索で私のホームページにたどりついてくれた。亡くなった時も丁寧に連絡をくれた。
そんなやりとりを通して、ビクトリーアップの引退後の人生が充実していたことを知れたのも、懐かしい思い出だ。

発表によると、ヨコギはJRAファシリティーズに就職するという。
同世代の元騎手が、キャリアを生かして第2の人生を歩めることはものすごくうれしい。

2016年12月26日 (月)

武一族のすごさ

武豊の騎乗技術が素晴らしいのは、私が今更言うまでもない。
私が、武豊が一番すごいと思っているのは、競馬以外の人に話題をふられたときのアドリブのギャグだ。
競馬を知らない人にもわかりやすく、笑わせる。こういうのをウイットというんだな、と思う。
聞くたびに、笑うより先にうまい、とうなる。
一番面白いと思う。

一番と書いておいて、それより面白いと思ったのが武邦彦だった。
何かのバラエティーでテレビに出てきたとき(栗東を訪れていた)、死ぬほど笑った。
内容は忘れてしまったのだけど、腹抱えて笑った。
それからは真面目な姿しか見ることがなかったのが残念だ。

幸四郎も面白いけれど、今のところは一般的な面白さ?で、周りをなごませているように思う。
もちろん、武一族の笑いの血筋は受け継いでいる。
調教師になったからには、武豊を超え、武邦ばりの面白トークを届けて欲しい。

2016年7月 4日 (月)

特別な2頭のこと

思い出のある馬たちのしらせを立て続けに聞いた。

マーベラスサンデーのこと。

初めて札幌競馬場に行った日は、まだ、札幌記念が天皇賞の前哨戦と位置づけられていなかった頃だ。
札幌記念にすごい馬が来ると聞き、人混みの中から見た馬は、遠くからでも筋肉の割れ目がはっきりと見え、馬体は黄金に輝き、ひと目見ただけで体に震えがきた。これこそ「ズキュン」という衝撃。本物のサラブレッドとはこういうものなんだ。と教えてくれた。唯一知っていた騎手、武豊を鞍上に1着でゴールを駆け抜けた。
それから、私はサクラローレルのファンになった。この2頭が3強として闘う日が来るとは思ってもみなかった。

ローマンエンパイアのこと。

「子どもが凱旋門賞を勝つのが夢。」
凱旋門を目指したけれど、レースにも出れないままロンシャンを去ったローレルの初仔が、新馬、特別、重賞と3連勝して皐月賞に出ることになった。まさか初年度からこんな馬が出るとは……夢は見ても、競馬ファンならそのことがどんなに難しいかわかっている。しかも1番人気(最終的には2番人気)。中山で夢心地だった。惨敗して、違う意味でぼーっとしていた。その状態で最終後の騎手の集いみたいの(三輪車とか乗るやつ)見て爆笑して正気になったw のか? 何やってたか忘れたけど、腹抱えて笑った記憶だけが残っている。

2015年8月 8日 (土)

札幌競馬に行ってきたよ

墓参り後の競馬場!
今日の10Rは帯広特別。着ぐるみリッキーを見たりばんえいアピールもあるということで行ってきた。それと12R、道営馬ミラクルフラワーの応援。
11R札幌日経OPも好きなレースだ。友人の応援馬グランデスバルがいるということでパドックへ。
ほかの馬のゼッケンを見ていると…ん、ペルーサ? あのペルーサか。8歳ってことはそうなんだろうな。なんと、ペルーサが走ること知らなかったとは。
結果ペルーサの勝利で競馬場は沸きに沸いた。G1や重賞のあと、ファン総意の「よかったね」の拍手。まさかこんなシーンが札幌で見られるとは。ペルーサは好きな馬だけど、スタンドの気持ちの波についていけない私。新スタンドに慣れなくて、新しい競馬場に来たような気持ちでいる。

グランデスバルとペルーサ、誘導馬の写真です。これからこのアルバムには写真を増やす予定。
ミラクルフラワーの写真はつぶ串で。

2015年8月 3日 (月)

ガーリィなアパパネ

言葉に向き合う仕事をするようになってから、新しい言葉に敏感になってきた。正直言うと、いらっとする。
「ほっこり」なんて代表的なもの。そして「ガーリィ」ね。

60YEARS 名馬伝説」を読んだ。レースごとのコラムが載っているので、レースの書き方の参考になればと。優駿に載っていれば読んでいるはずだけど、記憶にない…読んでないというより、読んだけど頭に入っていないんだろうなぁ。いずれにせよ懐かしくいろんな思いが去来。
その中で、アパパネを「ガーリィ」と表現したのが谷川直子さん。それが、文章の流れではあまりにアパパネにぴったりで、「すごい」と思った。
ここでガーリィ使っちゃうんだ。

四月は少しつめたくて」を読んで、やっぱり私は直子さんの文章が好きだなーと思った。
競馬エッセイのときからとても女子っぽくって、自分とは全く違うけれど、文章がうまいなぁと読みいってしまう。
一番好きなのは「ゆうべ不思議な夢を見た」。ギャロップの名馬100に載っていたもので、一つ一つのストーリーが、そのサラブレッドがモチーフになっている。直接馬名は出ないけれど、どこかで馬のイメージと重なるのだ。
当時、競馬をしっかり見ていて馬の特徴を把握していたからなんだろうけど。

愛とリスペクトを持って、どうその馬を表現するか。いっぱい引き出しがほしいなぁ。

2015年2月27日 (金)

49年早生まれ

人口の割に、同級生にあたる年代の騎手はそう多くない。
その少ない中の1人が後藤騎手だった。昭和49年早生まれ。勝手にシンパシーを感じていた。
一番それを強く感じたのは、29歳の時だった。
20代のうちしかできないことがある。ちょっと羽目を外したり、思い切ってみたり。
そう思い始めていたときに、29歳の後藤騎手はテレビに向かってはしゃいでいた。
それが、30になるとぱったりと止まった。「最近は後藤も前ほど変なことしなくなったね」と言われていたけれど、私は、これは30になったけじめなのかな、と思っていた。いつか会って、いろいろと話すことができたら、この話をしてみたい。そう思っていたけれど、そのチャンスは永遠になくなってしまった。
何かしてしまうんじゃないか、という怖さはあった。でも、そんな危うさを持った騎手なんていっぱいいる。まさかこのタイミングで、死ぬなんて。
いろいろなことを思い出すたびに、辛くて、考えこんでしまう。

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ばん馬のいる風景

プロフィール

  • ゆかです。北海道在住、いろんな馬に会うことが好きです。ばんえいは「ばん馬のいる風景」、ホッカイドウ競馬は「つぶ串ひとつ」というブログです。 TwitterとInstagramは@primoordineです。小久保(斎藤)友香という名前でばんえいや道営のことを書いたりしています。

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