2021年2月16日 (火)

石坂調教師

今年の勇退調教師の名を見て驚いた。そうそうたるメンバーだな!
自分が良く見ていたころの調教師が月々と勇退していき、私は一昔前の競馬ファンなんだなぁとしみじみしてしまう。

石坂正調教師も3月までなのか。
1998年、開業祝に移籍した馬がキョウエイユカだった。どこの厩舎から来たんだったかな…って調べたら、橋口厩舎?そうだったっけ、記憶が…
どちらにしろ、調教ではその厩舎のメンコを付けて走っていた。(でも橋口厩舎のメンコじゃなかった気が…)
別に同じ名前だからって応援していたわけじゃない。おお、ユカか。と気にしながらも、頑張り屋できつい性格のユカは私とは似ても似つかない。ニンジンが嫌いとかいうエピソードもあったなぁ。
それなのに、デビューして1ヶ月半、報知杯4歳牝馬特別で故障して予後不良になった時は悲しくて悲しくてたまらなかった。なんでユカが…と思い、引きずった。
どうすればいいのかわからなくて、とりあえず厩舎に花と、そんな思いをしたためた手紙を送った。自己満足みたいなものだ。
しばらくして、石坂先生から自宅に電話があった。私は仕事中で母が出て、全く何のことだかわからない母は「あら~それは残念ですね」みたいな返答をしたらしい(もう一度手紙を書いてお礼と無礼をわびた)。
携帯を持ち始めたころだと思うけど、番号が表に出るのは嫌で花の送り先には実家の番号を書いていたんだよなぁ。そんな時代です。
石坂厩舎はそれから、あれよあれよと名門厩舎になった。ユカのことはどう思っているのかな。ここまで活躍馬を育てて来た先生なら逆に忘れることはないと勝手に思っている。

ということで3月14日の命日に、阪神競馬場に贈り続けた花はキョウエイユカを偲んでのものだった。

ある日インターナショナル牧場へ、ユカの母ケイシュウレディにも会いに行った。「ケイシュウレディに会いに来ました」というと女性従業員の方が「ユカちゃんのファンだったんですか!」と喜んでくれた。
初めて会う母の姿に涙が止まらなかった。あの気持ちも不思議なものだ。

2021年2月11日 (木)

ローレル一周忌

前回の投稿()の通り、自分の誕生日が好きな馬の命日になってしまい、今年の1月に一周忌を迎えた。

新和牧場にあったサクラローレルの墓は、秋に桜舞馬公園に移転した。ちなみにオーマイホースパークって読むんだよ!
コロナ禍で移せるかどうかわからないとの話もあったが、母ローラローラやホクトオー、チトセオーなどからは離れ、多くの人が行けるところへ移った。
牧場でお墓参りをして、元気な功労馬たちに会う、という長年の流れがローレルではできないことが少しさみしくもあるけれど、牧場を見学できる時に公園にも行ければそれでいいのだ。

さて、花を贈ろうと思って悩んだ。今、墓は牧場にないのだ。牧場に問い合わせると当日は線香をあげるとのことで、それならばと牧場宛に送らせていただくことにした。少し前に大雪が降ったので公園の墓が埋まっているかも。と見て来てくださり、墓の周りを雪かきをしたあとの写真まで送っていただいた。

「命日に花を贈る」ということについて、思い出していた。
競馬場で命を落とした馬の命日に、「馬頭観音にお供えください」としばらく競馬場宛に花を贈っていたことがある。
JRAの職員の方は、毎回ではないけれど「きちんと供えておきましたので」と、わざわざ電話をくださった。さすがだなぁ。
広い広いJRAの競馬場の、事務所から馬頭までの道のりを思うと恐縮した。って、実はまだ行ったことのない阪神で、近いのか遠いのかも知らないけど。まぁ距離じゃないよね。
そして想像しようにも、どこにどのような馬頭さんがあるのかわからないままだった。

花を贈る馬が増えたこともあり、このような時は何年かで区切りをつけよう、と決めた。この時って7年だったか10年だったか…。改修で命日に贈れなかったことが区切りになったんだったか。忘れてしまいごめん…

自分が命日に行けないと、迷惑をかけてしまう気がして、悩ましい。
それでもこの日じゃないと、自分の心の中の何かが落ち着かない。
ファンにとっての馬の命日ってそういうものだと思う。いまだに対処の仕方がわからない。

2020年1月24日 (金)

今年の誕生日 サクラローレルについて

これまで誕生日はおとなしく過ごしていたのだけど。
まさか、自分に競馬を教えてくれた、愛すべき名馬の命日になってしまうとは。

29歳、老衰。
もう十分生きた、幸せな馬だったと思う。ただ感謝しかない。
安楽死を逃れてきた馬がここまで長生きして、幸せな余生を送れたとは。

何度か書いているけれど、自分の好きな馬はみんな長生きしている。
同世代、下の馬たちの訃報を次々と耳にするたびに(それはそれで悲しいのだけど)、
自分にとって強い思いのある馬が長生きしている、その意味を考える。


最初に見た有馬記念で選んだ馬が、小島太騎乗(次年で引退)のサクラチトセオー。
牧場に行って初めて好きになった馬がサクラホクトオー。
この時代はもともと「サクラ」の活躍馬が多かったけれど、自分にとって縁のある馬が多かった。

少しずつ競馬を覚えていったころ、美しい栃栗毛、長距離血統、持ち込みって? RainbowQuestって?! 皮膚が薄い? だからこの色?!
と、いろんな理由から惹かれていった馬だった。競馬を覚えたてだったから今ほど効率良くは動けなかったけれど、ローレル中心に動いて、いろんなことを学んだ。競馬を自分なりに楽しむときの、行動の仕方を覚えたな。

2月15日発行のばんえいのフリーマガジン「ポムレ」のコラムでは今回、ファンの思いを書いた。
この中にはローレルで感じた気持ちも多くある。

リスグラシューの引退式で応援幕がはれなかったという話を聞いて、ローレルが函館にお披露目に来たときのこと(友人が幕をはっていた)を思い出していた。
そのほかにもローレルにまつわることがちょっとあって、一瞬嫌な予感がしていた。

母ローラローラへの命日に、墓前に花束を置くため毎年4月に牧場を訪れていたけれど、ここ数年は直接行かずに贈っていた。
そのうち新和牧場の見学はFacebookから受け付けるようになっていた(先進的ですごい! と感動していた)。ローレルがいる間に、その申し込みはできなかった。
帯広からは門別と浦河は行きやすいけれど、その中間の静内となると、他の計画と合わせて…なんて考えているうちに行きそびれてしまった。
こればかりは仕方がない。長く競馬に関わって、馬のことは後悔しない、という教訓も得た。
いつかこの日が来ると割り切っているので、結構しっかりしています。思い出はもうあるからね。

しかし、センバツに十勝から2校だとか、応援馬を調教していた木村さんの息子の和士騎手がエクリプス賞だとか、ほかにもいろいろと、まぁ個人的にもニュースの多い日でした。

2019年2月12日 (火)

藤井勘一郎騎手

今日、藤井勘一郎騎手がJRAの騎手免許試験に合格した。……うれしい。
ホッカイドウ競馬で期間限定騎乗した時に、お話を聞くことができました。2015年かぁ。
https://blog.oddspark.com/jockey/cat195/cat1382/

とても話を聞いてみたかった人。通常なら取材するチャンスはそうないけれど、最初が道営だったおかげで取材ができ、光栄だった。
前向きな姿勢は思った通りで話していて気持ちよかったし、カメラを向けた時に放たれるオーラから、この人はJRAで乗るべき人だと思った。
もし、私のインタビュー記事をJRAの人が見ることがちょっとでもあるとすれば、と「こんな騎手ならほしい」と思わせるような内容になるよう、書いたつもりだった。
騎手を含むスポーツ選手には、いろいろなタイプがいる。その中でも、多くの人に感動を与えたり若者の指針になる存在になりうると思っている。

藤井騎手の幅広い活躍を楽しみにしています。

2018年6月20日 (水)

競馬最強の法則

「競馬最強の法則」が休刊するという。残念だ。

人や馬の記事は丁寧で胸を打つものが多かった。写真も雑誌に合わせた独特の雰囲気が好きだった。
ギャンブラーへのリスペクトも感じられて、きちんとした博打の世界があった。
「地獄の早耳」のようなゴシップ記事も、最近はこの雑誌くらいでしか見ない。ネットの噂話なんかより、紙媒体に載せることの覚悟と裏取りがどれだけ重いか。ほんと、うそ、ということよりもそこには責任がある。

競馬がギャンブルであることを根底に、そこにある人間模様を描く。
私が目標としているものがあった。

河村清明さんもブログで書いている。
「競馬メディアのこの先が、ますます心配になってきた。」

私も全く同じ思いだ。

2018年3月 7日 (水)

小島太のこと

私が競馬を始めた頃、騎手を引退することになった小島太。
その小島太が、調教師を引退するとは。時の流れの速さを認められない。私、そんなに長く競馬やってるか?

当時は「名騎手は名調教師にあらず」が当たり前の時代。ローレルにも騎乗した名騎手が、調教師として活躍馬を多く送り出すことが嬉しかった。「ローレルの子で凱旋門賞に」という夢は叶わなくても、「小島太厩舎の馬で凱旋門賞に」ということは達成してしまった。私の中の時代が2つ終わってしまった。

最後の週、1500勝を達成したのはメンデンホール、横山典弘。
ガッツポーズが話題になったが、それより胸を打たれたのがフライングディスマウント。デットーリがやるアレだ。若かりしノリちゃんは、ローレルの馬上から同じように飛び降りた。その思い出がフラッシュバックした。懐かしい光景、きゅんとするなぁ。

小島太氏は、解説者という話もあるそうだ。なんかどこかでやってなかったっけ。ってそれ、大相撲か。

2018年2月28日 (水)

ネーハイシーザーのこと

ネーハイシーザーが28歳で、その生涯を終えた。
種牡馬引退後は、生産牧場で余生を過ごしていた。帯広から、いつも行く浦河の牧場に行く道すがら、ネーハイシーザーを見かけた。ある時はポニーと一緒で、晩年は1頭で、悠々自適に過ごしている幸せそうな姿が印象的だった。
そう、ネーハイシーザーは幸せなんだ、と伝わってきたから、彼を見るのがいつも楽しみだった。
その後は牧場を移動。結局新天地では会えなかったけれど、あの頃の幸せな記憶のまま。幸せな生涯だったと思う。安らかに。
http://www.jra.go.jp/news/201802/022701.html

2017年12月27日 (水)

清水師のことば

サンスポ(北海道では道スポ)の20歳のころを語るコラム、有馬記念の前は清水久詞調教師だった。
http://www.sanspo.com/sports/news/20171221/spo17122111000001-n1.html
3回目の連載の中で語られている、清水師が荻野極騎手に言う言葉がいい。
「結果を求めると競馬が雑になる。感謝の気持ちを先に持て。そうすれば冷静に乗れる。結果は次。そして何回も競馬を見ろ。一流騎手と何が違うか自分で探せ」
競馬を自分の仕事と置き換えて考えたいと思う。

2017年12月21日 (木)

ヨコギのこと

横山義行騎手が引退することになった。
好きな馬に乗っていたこともあるし、障害と平地に両方乗る。
私は第3次ベビーブーム生まれだけど、なぜか同世代の騎手が少ない。
そんな中、同学年でもある。いろんな点で応援している騎手だった。

特にビクトリーアップとのコンビが思い出深い。
競馬を始めて数年、一番楽しく、吸収力もある時に、
ビクトリーアップと横山義行騎手のエピソードを聞いた。
こんちくしょう、というたぐいの内容だったはずだけれど、実はしっかりと思い出せない。
(個人的に忙しい時期があって、競馬の記憶が曖昧になっている)

競馬のエピソードを吸収しすぎたせいなのか、
今の私にしたら「あまりにちっぽけなこと」なんだと思う。
当時は敏感になって、その人馬に引き込まれた。
(ちっぽけといっても、もちろん当人にとってはそんなことはなくて、情報過多になりすぎた私が鈍感になっているだけって話)
なんだったっけ、と思い返しながら、そんなセンシティブな競馬ファンだったころの自分をちょっと懐かしんでいた。

ビクトリーアップが引退後、彼がいた乗馬クラブの方が、検索で私のホームページにたどりついてくれた。亡くなった時も丁寧に連絡をくれた。
そんなやりとりを通して、ビクトリーアップの引退後の人生が充実していたことを知れたのも、懐かしい思い出だ。

発表によると、ヨコギはJRAファシリティーズに就職するという。
同世代の元騎手が、キャリアを生かして第2の人生を歩めることはものすごくうれしい。

2016年12月26日 (月)

武一族のすごさ

武豊の騎乗技術が素晴らしいのは、私が今更言うまでもない。
私が、武豊が一番すごいと思っているのは、競馬以外の人に話題をふられたときのアドリブのギャグだ。
競馬を知らない人にもわかりやすく、笑わせる。こういうのをウイットというんだな、と思う。
聞くたびに、笑うより先にうまい、とうなる。
一番面白いと思う。

一番と書いておいて、それより面白いと思ったのが武邦彦だった。
何かのバラエティーでテレビに出てきたとき(栗東を訪れていた)、死ぬほど笑った。
内容は忘れてしまったのだけど、腹抱えて笑った。
それからは真面目な姿しか見ることがなかったのが残念だ。

幸四郎も面白いけれど、今のところは一般的な面白さ?で、周りをなごませているように思う。
もちろん、武一族の笑いの血筋は受け継いでいる。
調教師になったからには、武豊を超え、武邦ばりの面白トークを届けて欲しい。

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ばん馬のいる風景

プロフィール

  • ゆかです。北海道在住。いろんな馬に会うことが好き。 ばんえいは「ばん馬のいる風景」、ホッカイドウ競馬は「つぶ串ひとつ」というブログで書いてます。それ以外の馬ネタの行き先がここ。 TwitterとInstagramは@primoordine。地元紙記者、競馬ライター・カメラマン。小久保(斎藤)友香の名前で出ています

つぶ串ひとつ

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