石坂調教師
今年の勇退調教師の名を見て驚いた。そうそうたるメンバーだな!
自分が良く見ていたころの調教師が月々と勇退していき、私は一昔前の競馬ファンなんだなぁとしみじみしてしまう。
石坂正調教師も3月までなのか。
1998年、開業祝に移籍した馬がキョウエイユカだった。どこの厩舎から来たんだったかな…って調べたら、橋口厩舎?そうだったっけ、記憶が…
どちらにしろ、調教ではその厩舎のメンコを付けて走っていた。(でも橋口厩舎のメンコじゃなかった気が…)
別に同じ名前だからって応援していたわけじゃない。おお、ユカか。と気にしながらも、頑張り屋できつい性格のユカは私とは似ても似つかない。ニンジンが嫌いとかいうエピソードもあったなぁ。
それなのに、デビューして1ヶ月半、報知杯4歳牝馬特別で故障して予後不良になった時は悲しくて悲しくてたまらなかった。なんでユカが…と思い、引きずった。
どうすればいいのかわからなくて、とりあえず厩舎に花と、そんな思いをしたためた手紙を送った。自己満足みたいなものだ。
しばらくして、石坂先生から自宅に電話があった。私は仕事中で母が出て、全く何のことだかわからない母は「あら~それは残念ですね」みたいな返答をしたらしい(もう一度手紙を書いてお礼と無礼をわびた)。
携帯を持ち始めたころだと思うけど、番号が表に出るのは嫌で花の送り先には実家の番号を書いていたんだよなぁ。そんな時代です。
石坂厩舎はそれから、あれよあれよと名門厩舎になった。ユカのことはどう思っているのかな。ここまで活躍馬を育てて来た先生なら逆に忘れることはないと勝手に思っている。
ということで3月14日の命日に、阪神競馬場に贈り続けた花はキョウエイユカを偲んでのものだった。
ある日インターナショナル牧場へ、ユカの母ケイシュウレディにも会いに行った。「ケイシュウレディに会いに来ました」というと女性従業員の方が「ユカちゃんのファンだったんですか!」と喜んでくれた。
初めて会う母の姿に涙が止まらなかった。あの気持ちも不思議なものだ。